papertailのブログ

ASD,ADHDの自分が思ったことなど書いてます。twitter:@tailpaper

自身の過去を振り返る~小学生編~

今回は、自身の過去を振り返ってああだったよなこうだったよなと考えてみたいと思います。

何回に分かれるかもしれませんが、ご了承ください。

 

最初に投稿したブログにも書いていたと思いますが、自分自身が発達障害ではないかと思ったのは社会人になってからです。

それまでは、障害なんてことは一切考えていませんでした。なにか間違えれば、できの悪い人間(実際出来のいい人間だとは思いませんが・・・)だと思うばかりでした。

小学生のころだったでしょうか。夏休みの宿題を溜め込んだ挙げ句、8月31日頃にまとめて終わらせるのは毎年恒例のことでした。

また、人前が極端に苦手で、低学年の頃は人前でしゃべるときに泣いたりと大変でした。また、全校生徒の前で話さないといけない機会もあるのですが、それを断固拒否して喋らずに卒業しました。授業中も自分から挙手することはない人間でした。

低学年~中学年のころは特にそのような人間でしたから泣かされることもかなりありました(自分が泣きやすいということもあるからですが)

そこで「許して」と言われても「許さない」と言ったり、泣いてても泣いてないと言ったり頑固なところもありました。

それに、親に渡さないといけない、学校に提出しないといけない書類を渡すのをギリギリに渡してしまったりもありました。

 

あとは、不注意や勝手な行動もありました。理科の実験のときに、中身に液体の入ったビーカーをこぼしたり、これは中学のときの実験なのですが、フラスコを加温しているときにやけどをしてしまったりということもありました。

小学生の時に話は戻って・・・書道のときも、授業が終われば皮膚には必ずどこかしらのタイミングでついた墨汁もついてました。

こんな感じのことを書いてきましたが、小学生の時はどちらかというと楽しく過ごしていました。小学生の時のあるあるの、足が速い人間でした。それに、先程あげた不自由以外に特に感じなかったのは、やはり周りの人に恵まれていたからじゃないでしょうか。

小学5年生のときのことですが、各月に目標となる項目(例・縄跳び○○回)を10個ほどが書かれた紙が教室に張り出され、それを達成するとその紙に自分の名前が書き出されます。私はその紙に自分の名前が記されることに躍起になってたことを思い出しました。小学生ながらに目標を達成し、誰かに認められたいという気持ちがあったのかもしれません。その目標が、全くできるか!!というものではなく、少し頑張れば達成できるものでしたから余計にそうでした。その先生は、誰に贔屓することのない方でした。

どうまとめよう・・・すいません。心の声が文字に出てしまいました。

小学生時代は発達障害という言葉なんて知りませんし、与えられたものを行っていくことであったり、自分がなにかほったらかしでも周りの人に助けられていたりしていたので「人前苦手やな~。余計なことはあまりしないようにしとこ。」と思ってたくらいで特に自分自身深くは考えてませんでしたが、今考えて振り返ると予兆のようなものがあったかもしれません。