papertailのブログ

ASD,ADHDの自分が思ったことなど書いてます。twitter:@tailpaper

自身を振り返る~高校編~

高校時代は、かなり敏感な時期でしたので、とにかくおとなしく、余計なことをして悪目立ちしないように過ごしていました。

高校一年生のときは、特別これが楽しかった!ということはなく、しんどい思いをすることが多かったように思います。

ただただ自分のクラスの担任の先生がいい先生であったことと今も遊びに行くような友人と出会えたことはすごく良かったと思います。

苦戦することは色々ありました。とにかく課題が多いことでした。他の人は効率よく行っていたのだと思いますが、翌日の授業がどこの席から当てられてどのように進んでいって、このタイミングで当たるだろうという予測ができないし、もし課題ができていなかったとして回答を間違えると先生の怒号が響き渡る授業もありましたので、それに怯えながらはじめの一年間は過ごしていました。また、朝のテストの勉強も行わないといけませんでしたが、そのテストに落ちるとあからさまに教師の機嫌が悪く、再テストに合格しても怒鳴られるということがありましたので、その科目のテストは絶対に落ちないようにしようと勉強を頑張った記憶があります。ちなみにその2つは同じ人です。

話はそれましたが、そのように、課題を効率よく行えず、すべてを行っていたためにほぼ毎日日付をまたいでから寝ていました。そのような人間なので、もちろん部活動には入っていません。

また、自分の立ち位置というものを異常に気にしていたように思います。それは、一年生のときの経験であったり、二年生のときにはクラスのカースト上位の人が一気に下る事があったからです。そこで、下手なことをするとこのあと嫌な思いばかりさせられるとか思ってしまい、あまり行動することはありませんでした。ストレスはかなりかかっていたと思いますが、友人と喋ることや遊びに行くことでそのようなストレスは軽減されていたのだと思います。

部活動に入らず、課題に取り組んだり、テスト勉強(暗記ばかり)をしていたので、テストでの成績は上位に入ることができていました。それが気分良く過ごすことができた理由なのかもしれません。でも、テスト勉強はこういう流れでこういう答えになったとか、英語の構文がこうだからという勉強をしていなかったので、今は全くです。

高校1年から2年に上がるときに、数学のありなしを選ぶことができたのですが、自分は苦手だったのでなしを選びました。担任は数学の先生だったのですが、2社面談のときに「成績が上がったね」と言われると「数学がなくなったので・・・」と空気を読めない回答をしてしまったのを思い出します。

それに、チームプレーが苦手だったのを思い出しました。体育の授業ではもちろん、グループでの発表のときも自分がどの立ち位置にいればよいのかわからない状態で行うのがしばしば。個人で調べたり文章を書いたりするのは好きだったのですが・・・。